

3月21日金曜日
泌尿器先生の診察を受けてきました。
・私の水腎症は今どういう状況なのか
・尿管狭窄(ダブルjカテーテル留置)はこの先治る見込みがあるのか
を質問しました。
・水腎症に変化はなし。良くも悪くもなっていない。
・尿管狭窄に関して。これは時間が経てば経つほど治りにくい。
私の場合、既に術後一年経過していることから
可能性はゼロではないけれど見込みは低いと思われる。(はあ・・・)
尿管が完全に潰れている訳ではないので、
留置カテーテルを抜いても尿が完全に流れない、という程の後遺症ではないが、
100%無くても大丈夫とは言い切れないので、
定期的に尿管の流れのテストをして行きましょう。
・今日の尿検査は100点満点(おおっ。うれしい)
・残尿エコーの結果は58ccで、ちょっとだけ多いけど、
薬を使うまでもなく、意識することで通常の50cc以下になるので、これも合格
ということで、尿路感染症自体はもう心配ありません。
励ましのメールなど、ありがとうございました^^
ホント、入院せずに済んで良かったです・・・。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
術後は、容態が安定するまで、ICUでお泊りなのです。
オペ室から出るときは、朦朧としながらも、一応、意識があったので、
何とか出せる限りの声ではありましたが、主治医と話しができました。
先:アンさん。手術は成功だからねー!目で見える範囲は全てとったからねー!
・・・また会えたね、先生。・・・お父さんお母さん。
転移、どうだった?リンパとったの?眠い、痛い、寒い寒い寒い寒い、ごはんいつから?
吐きそう寒い寒い寒い・・・・(とにかく身体の不調を精一杯訴えてました。)
先:怪しいリンパは全て摘出したよ。一週間すれば病理結果が出るから・・・!
・・・・・・・・・・
ってところで、一旦記憶が飛んだ。
次に気が付いたのは、ICUの廊下と入り口の段差!!
ほんの少しの段差が障害になるって、自分がこうなってはじめて気付きましたよ。
痛くて吐きそうでした!マジで。
その頃両親は、術後の説明で別室に呼ばれていたみたいです。
先生から手術中の様子や、摘出した子宮と卵巣をリアルで見せてもらったそうです。
腫瘍がある部分は確かに変色していたけど、
それ以外は、とても綺麗だった・・・と教えてくれました。
それを聞いたとき、鼻の奥の方がツン・・として、涙が出そうでした。
もう、子宮がないんだ・・・。
・・・本当は泣きたかったです。
でも、ここで泣いちゃダメだ、って、なんか、思っちゃったんですよね・・・。
失ったものは帰ってこないんだし、ここで泣いても両親を困らせるだけだって思いました。
それよりも、早く元気になって、とっとと退院しなきゃいけない。
もう二度と親を泣かせちゃいけない。そんな気持ちでいっぱいでした。
常にベッドに寝た状態でしか周囲を見てないので、レイアウト的なものはよくわかりませんが、
窓には完全遮光カーテンが引かれていて、室内は蛍光灯で割りと明るかったです。
顔がバッチリ写る角度で監視カメラがセットされていました。
当然と言えば当然ですが、ここではプライバシーなんて、ないんだなぁ、と。
扉は全て開けっぱなしで、一応、薄いカーテンが引かれていたんですけど、
隣の部屋のベッドには、同じく術後のおじいちゃんが、うんうん唸ってました・・・。
耳を澄ますと、遠くで「うぉ〜・・・ぉ・・・」と苦しそうなうめき声が聞こえてくるんですよぉ。
そこにいる人は、みんな苦しそうでした。
ここが、ICUなんだなー・・・って、
自分もその中の一人なんだなー・・・って思うと、とても恐かったです・・・。
担当看護師さん(男性・イケメン)に時間を聞くと
19:30とのことでした。
(生命が危険にさらされてるって状況で、イケメンかどうかの区別がついちゃってる自分、
ある意味、絶好調じゃないっすか!と思う)
血圧70、熱が39.8度。
電気毛布をMAXにしてくれたんですけど、なかなか温まらなくて
もう寒くて寒くて、身体がぶるぶる震えていました・・・。
その夜は、両親との面会も、ほんの5分程度しか許されず、
痛いのとダルイのとで、身体は眠ろうとするのに、ほとんど眠ることができなかったです。
しかも、眠りに落ちそうになると、隣の部屋の心電図のモニターが
ピーーーー!!!
って、鳴り響くわけですよ。
(ち っ ・ ・ ・ 寝 か せ ろ よ ・ ・ ・)←悪っ・・・
んもー!!とか思いながらも、
さっき、カーテン越しから「ウーーー・・・」って、うめき声が聞こえてきてたから、
隣のじいさん、心臓止まっちゃったのかな・・・って、気の毒だな・・・って、思ってたら、
じいさんの、「わしかぁ??はぁ〜眠れんのぅ・・」って呑気な声が聞こえてきて、
あれ?じいさんじゃない・・・ってことは・・・。
何とか、頭だけ動かして、私につながれてるモニターを見ると、
そこには、赤いランプと画面はまっすぐなフラット線。
ピーーーー・・・・・・・・・。
あれ?
(一瞬の後)
キャーッ!!!
私のモニターが鳴ってんじゃん!!!
じいさんじゃなかったYOーーー!!!
って、
気付いたときは、
既に、
手に縛りつけられているナースコール、
連打してました。
こんなに連打したのは、スーパーマリオ以来です。
本能です。
これも生命力。
どうやら心電図モニターの電池切れだったらしいんですけど、
結局、その後も朝までずっと鳴ってました。
患者が動くと、エラーで鳴るらしいんですけど・・・、ホントかぁ?
完全に壊れてますよね、コレ?
痛み止めが効いている時間は意識も無く眠っているような状態なので助かりましたけど、
4時間に一度しか使用できないんだそうです。
それ以外の、意識のある時は、常に担当のイケメン看護師に、時間を聞いていました。
朝まで見回りに来るたびに、「今何時?」「まだ朝じゃないの?」と繰り返し・・・。
時間が過ぎるのが、こんなに遅いと感じたことは、今まで一度もありませんでした。
酸素マスク、左手には点滴。右手の動脈には血圧計の針。膣ドレーンに尿管バッグ。
心電図やら、鼻から胃に挿入されている管、
体から出てる管に触れて外れてしまうのが恐かったし、傷も痛むので寝返りも打てず、
身の置き場の無いような苦痛で、発狂しそうでした。
ていうかもう、形振り(なりふり)構っていられないと思い、
何度か
「もーーーっ!!!」
と大きな声を出して、びっくりした看護師マンがすっ飛んできました。
すいません。
なんだかんだと、不安だった夜が過ぎ、ようやく朝を迎えることができました。
カーテンの隙間から差し込む明るい光を見たとき、嬉しくて泣きました。
新しい朝―――。
痛みも幾分かは楽になっているような気がしたし、ぐらぐらと目が回る感覚も無くなって
意識もはっきりとしていました。検温すると、38度台まで下がっていました。
どうやら最悪な状況は過ぎ去ったようです。
朝の回診でOKが出たので、一般病棟に戻れることになりました。
そもそもICUに入ること自体が結構貴重な体験なわけですよね。
看護師さんもイケメンで優しいし、いい所だけど、ここへは二度と戻ってきたくありません。
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ICUってどんな患者さんが入るんだろう・・・素朴な疑問なのですが、さらっと調べてみました。
最近は一般病棟でも、血圧、呼吸、酸素飽和度などの
24時間モニタリングを実施することが可能なので、
通常の手術であれば一般病室で24時間モニタリングを受けるだけの場合も多い。
(byウィキペディア)
ほっほう。なるほどね。
集中治療室の対象となる場合の代表例としては、
主として重要臓器の機能不全があり生命が危険にさらされているものかがあげられる。
(byウィキペディア)
そうですか・・・。
さらされちゃってましたかぁ。
あの時の状況を考えると、深く納得です(笑)。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
2008年 2月27日
朝起きた時から、この日は体調不良でした。
前日、というかこの日の朝方、異様な熱さで目が覚め、
念のため体温計で熱を測るとなんと、38.5度を上回っていました。
関節がギシギシするような気がするし、
尿管カテーテルが留置されている左側の腹部がズキズキする。
ヤバイ、風邪かな・・・もしくはインフル?!
まあどっちにしてもこんな時間じゃ病院行けないしー。
そう思い、とりあえず冷えピタをおデコに貼り、
再びベッドに入り、眠りにつきました。
そして朝、もう一度体温を測ったら、36.5度の平熱に戻っていたので
何だ・・大丈夫じゃん、と、そのままいつもどおりに出社したのでした。
お昼ご飯。
あれー・・・、やっぱりおかしいな・・・。
食欲もないし、熱っぽいし・・・寒気もする。
嫌な予感がするなあ・・・。
この時点で、(もしかして・・・)と思い当たることがあったのです。
がんこさんの症状と似てる・・マズイ、腎盂腎炎かも!!
と。
思い立ったら即行動。
「入院になるのかもー・・・」と一抹の不安を抱え
ともかくC病院の救急外来へ飛び込みました。
救急部の診察室に呼ばれ、まずは内診。
背中を叩かれたんですけど、響くような痛みはなし。
横になって、左側の下腹部を押さえられると痛みがある。
この時、熱が38.5度まで再び上がっていました。
その後、尿検査、血液検査、レントゲン、インフル検査を
【緊急】の一文字で待ち時間なくスイスイと受けることが出来ました。
しばらくすると、全ての結果が出ました。
インフルは陰性で問題なし。
レントゲン(留置カテーテルの位置等)も問題なし。
尿検査は、潜血あり、蛋白あり、白血球の集魂あり、と色々問題あり。
血液検査ではCRP反応が3.7(基準値0.3以下)、
白血球が今までの数字のおよそ2倍に急増。
これらの結果から、腎盂腎炎ではありませんでした。
でも原因はやはり留置カテーテルにあるようでしたけど
これと言ってはっきりした原因はわからず、といったところでした。
おそらく、残尿のばい菌が留置カテーテルに付着してしまっているので、
細菌培養検査を追加オーダー。
この検査は一週間後にしか結果が出ないので、
結果は次回教えてもらうことに。
しばらく抗生剤(クラビット)を飲み続けて様子を見てみて
さらに次回受診の時に回復していないようなら、カテーテルを入れ直す、
ってことになりました。
二日後の2月29日。
再び泌尿器科を受診。
熱も下がってきているし、白血球も戻ってきているということで、
処方された抗生剤がよく効いているようです。
一度カテーテルにばい菌が付着すると、なかなか取れないそうです。
なので引き続き、抗生剤を飲み続けるよう指示がありました。
入れ直さないで済みそうだし、入院も免れました。ホッ・・・
そして本日3月5日。
婦人科の外来にて。
主治医:
「留置カテーテルの今回のような発熱などの症状は、よくあることだから、
まあ慌てずその都度対応していくしかないねえ、
カテーテルを抜くことが出来れば一番いいんだけどねえ、
腎機能を守るためには、仕方ないねえ」とのこと。
それに。はあーあ・・・
残尿がまさかの100CC超えだったので、
ばい菌の原因は残尿だったのかもしれませんね。
とりあえずは、回復してきているようです。
後日また、その後の経過をご報告いたしますね。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
前回のカテーテル交換から、
はあ〜・・・。もう3ヶ月経ったんだ・・・。
交換の予定日が近づくたび、毎回思います。
でも考え方によっては、こうして3ヶ月が早いと思えるのは、
目指している5年生存率クリアに、また一歩近づくことができて、ラッキー!
ってなもんなのですけど、やっぱり、痛いものは痛いので、
カテーテル交換の前日なんて特に、
さすがにドヨ〜ンと暗くもなるし、無口になります・・・。食欲もなくなるんですよね(笑)
今回は、さすがにもう慣れてきたのか、痛みはそれほどでもありませんでした。
MAX10だとすると・・・レベル5くらいかなあ、と。
施術後の血尿も全くなかったし、排尿痛もありませんでした。
尿管カテーテルの交換は、放射線科の【X線TV室】という場所で行います。
TV画面に映る、腎臓から膀胱の透視画像を見ながら、
1.前回のカテーテルを取り出し、
2.狭窄部分の流れをテストし、
3.最後に新しいカテーテルを挿入して、終了。
全部で1時間ほどかかります。
この間、激痛に見舞われるのが、計4回なんですけど、
それが、今回は一度もなかったんですよねー・・・。
私、毎回、処置の一時間前に、ボルタレン・サポを使用するようにしているのです。
ボルタレン・サポとは、痛み止めに使用する座薬です。
気休めにしかならないのだろうけど、それでも多少は効果があるのでは?と思っています。
処置には、ゼリー状の麻酔薬を使用しているようですが、
それも実際、ぶっちゃけ気休めかなー、と。
これから、尿管カテーテル挿入の処置を受けられる方へ・・・
処置中は、とにもかくにも、深呼吸をしながら、常に力を抜いていましょう。
膀胱カメラ挿入時に、腹筋や尿道に力が入ることで、
痛みを感じる度合いが全く違ってきます。
私は、前回まで、かなり反抗的な態度を取っていまして(笑)、
膀胱鏡が入るとき、絶叫とともにお尻をずらしっちゃったりして、身体が逃げてしまい、
その上、叫ぶものだからお腹にも力が入っていたのでしょう。
泌尿器科のドクターを散々困らせ、最終的には時間もかかっていました。
だからあんなに血尿が出たり、痛みも強かったのかもしれませんね。
今回は、本当に、今までと比べ物にならないくらい楽だったので、
これからはもう、怯えることもないんだなあーって思っています。
尿管カテーテルなんて、怖くないぞっ!!っと。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
病理の結果、リンパ節転移があったことから、
追加治療として抗がん剤が追加されました。
というか、
術前の画像診断の時点で、リンパ転移があろうがなかろうが、
ケモラジは必須という見解だったみたい。
※ケモ(Chemotherapyの略) :化学療法
ラジ(radiation therapy の略):放射線治療
つまりケモラジはこれらを同時に行う治療という意味で使われます。
放射線化学療法とも言われます。
「画像上、イマイチ判断つかないけど、多分 転移してるんだろうなあ」
と私自身は既に十分凹んでいたし、
実際に「リンパ節転移あり」と病理結果が出たときも、
「ああ、やっぱり?」と。
ショックはショックでしたけど、
術前の予告のおかげで、さほど驚きはありませんでした。
それでも不安はあります。
特に脱毛、これが一番気になるところではありました。
でも医者は はなから、そんなことあまり気に留めていませんでしたね。
女性にとって髪の毛がどれだけ大事なものか、理解していないこともないのでしょうが、
医者として気に掛けるべきは、脱毛よりも骨髄抑制などの副作用なのです。
私自身も治療が始まってしまうと、吐き気もあるし、身体はだるいし、
他の副作用に体力を奪われ、脱毛のことなんて どうでもよくなっちゃいました。
それに、私の主治医はリアルでハゲてます。
だから、あんまりしつこく脱毛脱毛言えなかったなあ(笑)。
抗がん剤は悪性腫瘍の種類や性質によって、
使用する薬品の種類や組み合わせ、投与する量が違います。
ただやはり、薬によっても、もちろん違うわけですが、
同じ薬にしても、抗がん剤の副作用は「ひとそれぞれ」。
こればかりはもう、やってみるまでわかんないな・・・と思います。
私の場合は、「ネダプラチン」という抗がん剤を使用しました。
シスプラチンやカルボプラチンなどのプラチナ製剤と同じ効果があるのですが、
シスプラチンほどの強い副作用が無いことで知られています。
結論から言いますと、私はそんなにハゲませんでした。
全体の3割から4割弱ほど脱毛、といったところでしょうか。
セーフです、いや、ギリギリアウトです。薄らハゲですから。
5月〜7月は、フルウィッグを装着、
8月〜9月は、フェイス周りの髪が持ちこたえてくれたので
2/3ウィッグとハーフウィッグ※1 を被ってました。
10月〜11月は、まだまだ分け目がスカスカだったので、ポイントウィッグ※2 が必要でした。
以下が私の化学療法スケジュール。
2007年 3月19日 化学療法開始(1クール目)
2007年 4月20日 放射線治療全28回が終了したので、一旦退院。
2007年 5月 8日〜10日 化学療法2泊3日入院(2クール目)
2007年 6月12日〜14日 化学療法2泊3日入院(3クール目)
2007年 8月 6日〜 8日 化学療法2泊3日入院(4クール目)
ちなみに、
私以外の患者さんはどうだったかというと、
私と同い年くらいの患者さん(卵巣)は、
ロングの襟足ウィッグを帽子に縫いつけたものを被っていました。
お人形さんみたいで、かわいかった〜^^
逆に何も被らず堂々としている方も沢山いらっしゃいましたよ。
私も病室では、薄らハゲのまま過していました。
※2/3、ハーフウィッグについて
フェイス周りの髪があることが前提で役立つアイテムなのですが、
地毛との境目をなじませることで、ある程度自然になると思います。
楽天さんで購入しました。興味のある方は探してみてください。
※ポイントウィッグについて
トップがスカスカで困っていたので、要はその部分に上手く足すことができればOK!
でも、頭頂部に乗せて隠すタイプのものは、ロングヘアの私には長さも足りないし、
なにより、馴染みが悪く不自然でした。
だから私は、細長いロープ状になっているものを購入。
そう、地毛に巻き付けて使う、アレです。
簡単な手順を載せておきますね〜。
1.前髪は厚めに作っておきます。なんなら後頭部の方から前髪として持ってきてもOK!
2.両サイドをゴムでそれぞれ耳の上の方で束ね
3.束ねたゴムを隠すように、ロープウィッグをクルクルと適当に巻きつけピンで固定
4.前髪を斜めに流すなり、まっすぐ下ろすなり、好きにセット
5.全体のバランスを見ながらスプレーなどで固定
超簡単!!ハーフアップの出来上がり!
これは、今でもたまにお出かけ用ヘアとしてやってます。慣れれば10分でできますよん。
闘病中、購入したヅラ(ポイントウィッグ含む)は全部で15個。
人工毛なので、値段も3,000円から20,000円と、とても手ごろなものばかり。
全部、ネット通販で購入しました(笑)。
唯でさえ医療費が掛かる時期だから、できるだけ節約したいところ。
そうは言っても、QOLを左右する大事なアイテムなだけに、
これから化学療法を受けられる人は、どうしようか迷うところですよね。
闘病中よりも治療後の方が、実際、ウィッグが必要な期間ですから、
再び髪が生えてきて、ある程度延びるまで、どのくらいの期間使用するか。
それから、何を重視するかがポイントだと思います。
付け心地でいうなら、とっても軽くて、肩が凝らない
医療用人毛ウィッグに勝るものはないです。
でも、とっても高いっ・・・。
私の場合、付け心地よりもとにかく見た目重視でしたから、
安くても、よりナチュラルに見えるように、
同じものを数個使いまわし、
セットの仕方や前髪の分け目を変えてました。
意外となんとかなったかなぁって思います。
※2007年12月現在、地毛で生活しています。
抗がん剤とは全く関係ないんですけど、入院中、ケモラジを始める前、
手術時のドーナツ枕の圧迫で後頭部がハゲるというサプライズがあったのですが、
その部分も含め、ホヨホヨとひな鳥みたいに軟らかくて短いのがたくさん生えてます。
ベースが元々あるので、もうスカスカでもないし、ひと段落です。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
2007年2月22日木曜日
雲ひとつない快晴でした。
術衣に着替え、肩に麻酔が掛かりやすくなる薬を2本打たれ、ストレッチャーに横になります。
(多分、筋肉注射だと思うんですけど、とっても痛かったです。
術後しばらく、注射のあとが筋肉痛のように痛みました・・・。)
子宮がなくなる・・・ってことを考えれば考えるほど、尋常じゃなく取り乱しそうだったので
前日から極力考えないようにしていました。ある意味、現実逃避ですね・・・。
両親も一緒に、オペ室へ移動します。
オペ室の前で、ストレッチャーを押している看護師に
「一旦 ご両親とは、ここでお別れです。なにか話しておきたいことは?」
と、取り様によっちゃあ、これが最後かも・・・、と思わせる質問に
もしかしたらオペ室を生きて出てくることはないのかも・・・死ぬかもしれない・・・
と思いました。
そう思うと泣けてきて、ここへ来てやや取り乱してしまいました。
ストレッチャーの上で少しジタバタしてしまい、
既にスタンバってた麻酔医が、私を落ち着かせようと宥めてくれました。
しばらくして、主治医が登場。
「気分はどう?」と聞かれたので、今の気持ちを正直に伝えようと思いました。
「このまま死んじゃうような気がしてる。すごく恐い。先生、頑張って!!」
だって・・オペ中私は意識ないんだし、自分では頑張りどころがわからないので、
先生に頑張ってもらうしかないもんねぇ。。
先生は大丈夫だからね。後でまた会いましょう、と言ってくださり、
がっちりとアイコンタクトも交わしました。
前日の予行練習どおりに、手術台の上で海老のように丸まって、
背骨の間に硬膜外麻酔が入れられます。
・・・うん。痛いです。でもすぐにその痛みもなくなり、
背中をグググググ・・・と押されるような感覚。既に麻酔は効いているようでした。
それにしても、オペ室の無機質な雰囲気といい、狭い手術台といい、
恐怖心を煽るシュチュエーションです。寒くないのに身体が震えていました。
そして、全身麻酔に移ります。
「よーし、頑張るぞ!」と思っているところで、意識がなくなる・・・。
手術前の記憶はここまでです。
AM10:00、硬膜外麻酔と全身麻酔でオペ開始。
私の場合、オペに掛かった時間は7時間半でした。
術中、輸血が必要になった時のために、前もって自己血をストックしていたんですけど、
出血量340cc程度と、かなり少なく済んだので、その時は使いませんでした。
先生の話では、1,000cc程度の失血なら、ちょっとクラクラする程度で
輸血しなくてもよいのだそうです。ストックは、それを上回ったときのため。
自己血採取は、血液の成分を壊さないように採らなければいけないので
使用する針が通常の注射針よりもずっと太いんですよ。
ぶっとい針が刺さった上、グーパーグーパーしながらパックに血液を溜めていくので
ぶっちゃけ、私的にはかなり痛かったしキツかったです。
できれば二度と自己血採取したくないなって思いました。
だから、あら必要なかったのね、と知ったときはちょっとガッカリだったんですけど。
でも、術後2日目に、預けていた自己血を、ご丁寧に私の静脈に返してくれましたよ。
「もう返してくれなくていいです。めんどいし、いらないYO」
って断ったんですけど、それが病院の決まりだそうです。
オペが終了して、覚醒した時、私はまだオペ室の手術台の上でした。
んで、まだ人工呼吸器らしきものが装着されていて、
まともに呼吸ができず、とても苦しかったです。
外してもらったときの爽快感といったらないです。
縫いたてホヤホヤの腹筋を存分に使って、思いっきりウェウェしました。
麻酔が効いているので痛くは無いですけど、パックリ開きそうで恐かったです・・・。
術後の処置を受け、ここからICU(集中治療室)へ収容されます。
手術室の照明が、とても明るくてまぶしかったです。
良かった。私、生きてるんだな・・・って思っていました。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
2007年10月16日(火曜日)の出来事です。
もうこれー・・・、毎度毎度のことなんですけど、そりゃもう大騒ぎです。
交換日が近づくにつれ食欲もなくなってくるという、とってもストレスの溜まる一大イベント。
溜息の回数が格段に増えるし!!ある意味 免疫下がりそうっす・・。
施術は前回同様、小一時間くらいかかりました。
痛い!!って単語を100回は言った(笑)。
今回は今までで一番、暴れたと思う。
次はあれやるんだな・・って手順をだいたい覚えちゃってる私は、
次に来る痛みも予測できちゃうもんだから、んもー恐怖で身体がガクガクしてきちゃうんです。
終わるまでずっと看護師さんの手をムギューっと握らせてもらいました。
先生に、「とてつもなく痛いから、交換の期間を延ばす、若しくは、麻酔を使ってほすぃー」
とお願いしてみました。
先生:『ゼリー状の麻酔を既に使ってるんだけどね・・・』
私 :『え・・・こんなんで!?こんなに痛いのに!?拷問だ!!!気休めにもなんないぜ。』
男性はもっと大変らしいのよ尿道が長い分ね、みたいなことを
看護師さんから聞いたことあるけど、
それに比べたら多少は女性の方が楽だと思うみたいなことも言われたけど、
いやいやいやいや。
でも痛いもんは痛いんです。
この処置、もっと何とかなんないのかなー・・・。
と、文句言ってみても、この痛みも全て、命あってのものだから・・・。
痛みがあるのは生きてる証拠。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
最後の抗がん剤治療が終わったのが、8月。
あれから二ヶ月しか経っていないので、
まだフルラウンドは無理かもしれないなーなんて、
ちょっと自信無かったんですけど、
いやー、全く以って問題なかったです。


2007年10月7日(日)
岐阜県にあるゴルフ場です。
私が住む名古屋からだと、高速で1時間くらいかな。
写真はスタートホール。
一緒にまわった人達だけ撮って、
自分の写真を一枚も撮ってもらっていないという、初歩的ミス。
このゴルフ場は、三度目のチャレンジだったのですが、
スコアはこれまでで一番良かったです。
でもまー、はっきり言って、スコアなんか、どーでもいい。
100切ったりとか、スライスがどうだとか、大人の会話にも憧れるし
私もいつかは上手くはなりたいけれど、そんなのは二の次で、
笑いの絶えないゴルフにしたい。
たくさん身体を動かすと、ご飯が美味しくなるじゃないですか。
だから、お昼ごはんのカレーライスがどんだけ美味いか
ってことのほうが、今は大事なんですよねー。
なにはともあれ、フルラウンドできて良かったです。
尿管にwjカテーテルが留置されているので、スイングした時とか
長距離を歩くのに、身体にかかる負担がどんだけのものなのか、
自分の身体とはいえ、まったく予測不可能だったので、
周りの人に迷惑を掛けず、無事に終えることができて、ホッとしています。
今までの健康だった頃とは違い、やはり不安はつきもの。
ゴルフグッズ以外で、自分なりに用意していって役立ったものを書いておきます。
・クーラーバッグ(凍らせたお茶2本と手のひらサイズの保冷剤6ヶ。)
※まだまだ暑いので、特に水分補給は大切です。
保冷剤はお茶を冷やす為と、のぼせ防止に。タオルで包んで首に巻くと効果的。
・虫除けスプレー
※虫刺されはリンパ浮腫の大敵だからね。山はやっぱり虫が多いし。
・弾性ストッキング(私の場合はスリムウォーク。)
※健康な人でも18ホールを回るのは大変なもの。
自分はリンパ浮腫持ちなので、シャワーの後すぐに穿きました。
帰り道は特に、足が痛くてダルくて、おまけにかなり浮腫むので、
後々やってくる疲労感とかが、これのおかげで大分違いますよ。必需品。
・エアーサロンパス
※これって、すごいっ!
ラウンド中は、けっこう歩くから疲れるし、身体が火照ってくるので、
ちょこちょこと、腕・手首・太もも・ふくらはぎ・肩などなど、
暇さえあればシューシューしてました。
毎回出てた筋肉痛が、今回は全く出ませんでした。スゴー。
スースーするので、首に巻いた保冷剤との相乗効果で、かなり涼しく感じましたYo。
汗かきさんには特にお勧めっす。
・ソフトタイプのガードル
※普通にしてても鼠径部が浮腫むんです。運動後なんてなおさら。
これはいつもどおりに、朝からずっと穿いていました。
一分丈なので、ちょいボクサーぽいカンジです。スポーツ向き。

デジカメ整理してたら、出てきた。
写真は、2007年2月26日の病院メシ。
ちなみに、手術日は2月22日。要するに術後4日後のご飯です。
重湯から始まって徐々に五分粥、全粥、白飯へとランクアップ。
オカズもランクアップ。
天ぷらって・・・。と絶句したのを覚えています。
病人の弱った内臓にはかなりキツかったです。
まったく食べられず。
※抗がん剤治療・放射線治療などの副作用は、
使用する薬品や患者さんによって、それぞれだと思います。
私の場合は、白血球など血液検査は散々でしたが元気が戻るのはとっても早かったです。
抗がん剤治療中(5月中旬)から既に仕事にも復帰していました。
今回のゴルフは、本当に仲のよい人が一緒にラウンドしてくださったので、精神的にも楽で、
心から楽しむことができました。ありがとねーM田さん!!またよろしくお願いします。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
先月(8月6日〜8月8日)は、最後の抗がん剤治療のため、入院していました。
そして2007年9月現在・・・。
心配されていた副作用もさほど無く、
脱毛の時期も過ぎ、
今週始めの診察で、血小板の値も良くなって来ているということで、
これをもって、ガン治療は終了となりました〜☆ひゃっほー。
どうか、こうして取り戻すことができた元の生活が、これから先も続きますように・・・。
彼氏が出来ますように・・・(笑)。
恐るべし、後厄。
さて。
その最後の抗がん剤治療4クール目の入院ですが、
また今回も産科病棟でして、まぁいつものことなので、
妊婦がうろちょろしていようとも、今更、何とも思いません。
私が通うC病院は、産科と婦人科の病棟が一緒になっています。
悪性腫瘍の患者さんには、別に分けられた病棟があるのです。
私はそこへ入院する予定でした。
初めての入院のとき・・・、
病院側の都合で産科病棟にしか空がなく、泣きながら妊婦と同室で過ごしていました。
術後の傷の痛みも引き、体調が落ち着いてきた頃、
他の病棟に空が出来たことを聞いたので、移動したいと申し出ると、
看護師長さんに、
『貴女の心のケアも含めて、最後まで私達、産科スタッフで看護させてほしい』
そう言われました。
私は、え。何で?やだよ。と思いました。
看護師長さんは、聞いてくれる?と話を続けます。
この病院へ通い始めた日・・つまり告知を受けた日から、今日まで
外来での私の姿や、術後 元の身体の機能を取り戻そうとムキになる私の姿、
色々なことに腹が立ち、点滴台を倒して病室で暴れたこと、
自由がきかない身体に堪えきれず、泣いていた私の姿、
お見舞いに来ていた友人と楽しそうに笑う私の姿、
そういう姿を全て見てきた、自分達産婦人科スタッフの方が、
少なくとも他の病棟の看護師より、私を理解しているつもりだ、と。
全てをひっくるめて、私のフォローをさせてほしい、と。
それでもやっぱりこの病棟にいるのが嫌だと思うなら移動の手続きをします、と。
私は、泣きました。
こんなふうに言ってもらえて、幸せだなあって思って。
私は病棟の移動の申し出を取り下げ、最後の治療まで同じ病棟で過しました。
思い返すと、人生最大のピンチを、あの場所で よく乗り越えられたな、と。
自分を誉めてあげたいと同時に、やはり、主治医であるDr.Kと、
産婦人科病棟のスタッフの皆さんに感謝です!
放射線と抗がん剤の副作用と、子宮を失ってしまったショックで、
実際に私は本気で(死にたい)と思っていました。
トイレの窓からずっと下を眺めていたとき、
気付くと隣で看護師さんが私の肩を抱いていてくれたり
(飛び降りないように押さえていただけかも)。
時に暴れることもある要注意患者だった私を、見守っていてくれたのですね(笑)。
『私がこんなんじゃダメですよね・・』
そう言いながら、一緒に泣いてくれた看護師のHさん。
お休みの日にこっそりと、私服姿でお見舞いに来てくれたよね。嬉しかったよ。
身近で支えてくれた私の家族。愛してます。貴方達がいなければ、今の私はなかったです。
友達のN美。貴女の言葉に支えられました。感謝しています。
私の生活を支えてくれた会社の社長、先輩、みんな。待っていてくれてありがとうございました。
まだまだ書ききれないほどたくさんいるけど、
とにかく今は、全ての人にありがとうと言いたいのです。
※記事ごとのコメントは受け付けておりません。ごめんなさいm(_ _)m
2007年7月24日の出来事です。
んで、前回と比べて痛いのとか、どうよ?ってことなんですけど、
施術中の痛みは、前回がMAX10だとすると、
今回はそうね、LEVEL9ってとこでしょうか。
痛いもんは痛いです。
施術後の血尿、今回はほとんど出ませんでした。
縦になったり横になったりして、造影剤を流しながらテストしてみた結果、
前回と比べて狭窄っぷりに殆ど変化は見られないようです。残念です。
流れが悪いのでもう少し留置しておこうか、ってことに。
やっぱりね。
一度狭くなった尿管が、そう簡単に元に戻るとは思ってはいませんでした。
また、3ヵ月後かぁー。
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